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いじめの芽

<小6女児自殺>いじめ、なお存在認めず…滝川市教委

 北海道滝川市の小学校の教室で昨年9月、6年生の女児(当時12歳)が首をつり死亡した問題で、市教育委員会は2日の記者会見で「原因は現時点で特定できない」とし、いじめの存在を認めないとの従来の見解を繰り返した。遺族の男性は「『いじめを認めない』とのマニュアルがあるのではないか」と不満を述べた。
(毎日新聞) - 10月3日


テレビでこの少女の残した遺書を読み上げていました。
たった17人しかいない同級生から「キモイ」と言われた少女の心。
12歳の少女の心は3年生から続いていた「仲間外れ」に耐え切れなかった。
そして選んだ手段が自殺でした。
それも小学校の教室での首吊り自殺だったと言う報道がなされております。

彼女は家ではそんな仲間はずれにされている素振りはおくびにも見せなかった。
逆にそれが、内にたくさんのものを溜め込んでしまう結果になってしまったと考えられなくもありませんが・・・。

それにしても彼女が命を賭して訴えたかった事。
自殺するしばらく前にも先生に相談していたと言います。
同級生への、そして先生への不信感の表れが、閉塞感が、どうにもならない悲しみが教室での自殺と言う選択をさせたのではなかったか。

そして約1年経った今、教育委員会が未だに「いじめ」による自殺とは特定できないという、馬鹿げた見解を繰り返しています。
テレビのコメンテーターが「これをいじめと言わずしてなんと言うんだ」と言ってました。
その通りです。
逆にこれをいじめと認識できない教育委員会であるなら、残念ながらその適性が無いとしか判断出来ませんね。
また本当は「いじめ」と思っていながら、事なかれ主義で隠蔽してしまおうとしているのなら、尚更その存在も不要なもの。
いずれにしても、子どものための教育委員会、教師でなければ、何等意味が無い。


以前、次女が丁度昨年の今頃から約半年、部活動で仲間外れにされていた事を記しました。
一緒に通学していた仲間の輪から外れ、こっそりとその輪から逃げる様に通学していた頃の彼女の後姿の寂しげだった事・・・、僕は未だに忘れられない。
それでも逃げずに一度も部活を休まずに通った次女。
幸いにも彼女は何とか部活の仲間との関係修復に至りました(もちろん顧問の先生の協力もありました)。今は、楽しげに学校に通っています。

子どもと言うのは想像以上に残酷です。
スケープゴートを作る事によって、残りの仲間の結束を確かめる・・・みたいな所が無きにしも非ず。それが故に些細な事が「いじめ」へとエスカレートして行く。

であれば尚更「いじめの芽」は早めに摘み取る事。
身近にいる先生、保護者が気がついて上げる事で、深くならないで済む事も多々あるように思います。
もちろん全てが同じケースと言う事ではないのですが、「いじめ」の芽というのはカビのようにどこにでも芽生える可能性のあるものですからね。

楽しかるべき学校生活を、辛く苦しいものにしないようにしなくては・・・。
  って教育委員会の方々は考えてくれよな。 体裁を取り繕うばっかりじゃなくてさ。

 これじゃ親御さんやり切れねーぞ、本当に。
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by kazz1125 | 2006-10-03 09:15 | 雑感


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