聖職者たちへ

先日、北海道・滝川市の小6の女の子の自殺と言う痛ましい事件の事を記した矢先、今度は福岡で中2の男子がやはりいじめを苦に自殺・・・。
それも元担任の言動がその引き金になったと言う報道がされており、語るべき言葉も見つかりません。

先日も記した様に、いじめの芽なんていうものはどこにでも転がってます。
自分がいじめられないためにスケープゴートを作る。
いじめる側に属する限り、とりあえず当座の身の安全は保障されているから・・・。
そんな馬鹿馬鹿しい論理がまかり通るのがいじめの世界図です。

ましてやそのきっかけをこの馬鹿教師は自ら率先して作っていたとはあきれて物も言えない。
こんな奴が担任だった、亡くなった彼はものすごく不幸だ・・・。

そしてもう一つ毎度の事ながらものすごく腹立たしい事。
教師、校長、教育委員会、教育長・・・。
どうして事ある度に、責任回避の言い訳ばかりなんでしょう。
現実問題には眼を瞑り保身を図る奴ばっかり。
文部科学省だって同じ穴の狢です。
現場からのいじめの過少報告を鵜呑みにしている馬鹿者達。
子ども達の自殺の原因を一々検証してみた事があるのだろうか。
いじめの件数があんなに少ないのなら、子ども達の自殺者数はもっと少ないはずだって、素人だって分かりそうなものだ。



子ども達には明日があります。
明日って「明るい日」って書くんですよ・・・。
少しでもよりよい明日への橋渡しをするのが教育に携わる大人の仕事でしょう。

教師のサラリーマン化が言われて久しく経ちます。
部活の顧問のなり手が無い・・・とかね。

だけど教育の現場にサラリーマンなんていらない。
「先生」って言うのは時間から時間の職業じゃないはず。
生身の子ども達と時間を共有する事が根っ子にある仕事のはず。
そんなの最初っから分かってるはずじゃない。
大変なのは最初っから分かってるはずじゃない。
それが先生なんだもの。
だから聖職って言われるんだもの。
だから、だからこそやりがいがあるんじゃない。

「金八先生になってくれ」ってお願いしているんじゃないんです。
だけど、どうか子どもたちにとって必要な先生でいて下さい。
よしんば子どもたちに嫌われていても、怖がられていてもいいんです。
でも先生がいなくちゃ困るんだと。

そして何より、先生に明日がないと子どもたちにも明日は見えない・・・。


追記
次女の担任の先生もバスケの顧問の先生も、「その頃」身体を張って下さったから、次女の今日があります・・・。
今日も・・・次女は「部活をしに」元気に学校へ行ったはずです。
それも良しです・・・。

多謝。
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by kazz1125 | 2006-10-18 10:23 | 雑感


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