「ほっ」と。キャンペーン

小物の抵抗

この時期、一番嫌いなこと。
他でもありません。
世界一煩わしい習慣といっても過言ではない、子どもの頃から大嫌いな年賀状です。

パソコン全盛の昨今ですが、手書きの時代はその労苦たるや筆舌に尽くしがたい塗炭の苦しみ(大げさ過ぎだろ)。
子どもの頃はこれでも芋判作ったり、あぶり出しだのってやりました。
でも図画工作の苦手な不器用な僕は、元来この手の作業が大嫌い。
おまけに字も汚いと来た日にゃ年賀状を好きになる要素がまるでなし。
小器用な友人のキレイな年賀状と見比べてもその差に愕然としたものです。
今から思えばその頃に、年賀状というものに微かな悪意を抱いた気がします。
それともう一つ。
中3の受験を控えた大事な時期に好きだった女の子に意を決して出した年賀状。
それに「返事」が来なかったのも年賀状が大嫌いな要因です(別に年賀状が悪いわけではないのだが、そんな下らん習慣があったからいたいけな少年の心は傷ついた・・・←すっげ~責任転嫁)。
今から思えばその時に、年賀状というものに確かな敵意を抱いた気がします。

パソコン全盛の昨今、かつて全て手書きだった頃から比べれば楽といえば楽ですが、手書きの文字の一つもない年賀状が大多数っていうのも何だか寂しいものです。

そもそも年賀状とは何ぞや?
挨拶状の一種なのはわかるのですが、どうも・・・よく考えるとわからない。
普段失礼している方に、今年も無事お正月を迎える事ができました・・・という報告なのでしょうか??
それより何より、これは旧郵政省を収入増させるための国家的陰謀に、我々が踊らされているに過ぎないと密かに睨んでるのですが、郵政民営化が進められた今、真実は闇の中に葬り去られようとしています(そんなに悪いことだったのか!)。

以前作曲家の「團伊玖磨」氏が「年賀というものは参上すべきもの。葉書なんて全く無礼」ととある対談で仰っておりました。
またその時に「年賀状は出しません。頂いても読みません。出さないのに来たのを読んだら悪いでしょう?」と放言されておりました。
・・・ここまで通せるのなら素晴らしいのですが、僕の場合はそんな卓見の持ち主ではないので、結局は頂いたお年玉年賀葉書の当選番号までも気になっちゃう小物です。
そして散々こんな事を書いていながら取引先に送る年賀状の絵柄をせっせとパソコンで探している卑怯者でもあります。

ところで来年の干支は何でしたっけ?
あららら、こちらも小物の「ねずみ」でしたか・・・。
[PR]
by kazz1125 | 2007-12-03 18:17 | 雑感


<< 今、再び プーさんの涙 >>